女子校育ち / 友香子

42歳から音楽制作、50歳からアート作品とAIでの映像創りを始めたシンガーソングライター、現役英語塾講師。

何歳からでも夢は追える、だから決して諦めてはいけない!!

 

NFTアートの販売をHEXAで始めました。総合アート作品の方は現在準備中です。


大阪出身。1973年生まれ。

 

子供の頃から好奇心旺盛で、小学校の時に行ったハワイで母親が目を離した隙に妹を連れて観光し警察に怒られたり、

 

中一の時に行ったアメリカのホームステイ先でチャリで逃亡したり、

 

中三の時に音楽がやりたくて家出をして、京都から各駅停車で大宮まで行ったが警察に捕まり、親父が迎えにきてボコボコにされた。

 

中学の時、バンドで一度だけ歌ったが、お前の声では売れん、音楽だけはやったらあかんとほとんど毎日うける暴行により洗脳され、喉が極端に弱かった事もあり、音楽はしてはいけないものと諦めた。

 

中学高校と同志社女子に通い、同志社女子短期大学英米語学科に進学するも、

 

19歳の時に母に縁を切られたショックから、精神がボロボロになり逃げるように渡米。

 

黒人地区、メキシコ人地区、白人地区と、バイトを転々としながら暮らしていたが、音楽、映画、絵画、ファッション、芸術全てはずっと好きだった。

 

35歳の時に、人生このままじゃいけないと思い、日本人と結婚したい、それにずっと憧れていた歌手になって、成りたい自分を目指そうと決め、14年ほど住んだアメリカを後にし翌年帰国。

 

この頃は父と断絶していた為、大阪には帰らずそのまま東京に行き、帰国したその足でオフィス北野に行くが追い払われ、翌週からオーディションを受けまくりレーベルには入る事が出来たが、曲の方向性が合わずに断念し、バンドのメンバーを探すも見つからなかった。

 

38歳で実家の大阪に戻り、オリジナルの曲を出す為にトラックを5万で買うがイメージ通りのものは出来ず、やはり喉が弱く直ぐに痛くなってしまうので、自分で歌うのは無理だと思いボーカルを探すも見つからず、自分の曲を世に出すのはもう無理だと深く落ち込む中、実家のうどん屋を手伝う日々を送った。

 

41歳で、進学塾の英語講師のバイトを始め、中学生と触れる中、小学校の時にした受験勉強を思い出したら、何でも出来るのではないかと思い、

 

42歳で絶対に無理だと思っていたパソコンでの音楽制作を始め、作詞、作曲、編曲を自身で行い曲を完成させたが、曲を出しても動画もないと誰も見ない、俺でも動画編集出来ますよ、と中学生に言われた事をきっかけに、撮影、動画編集を自身で行いミュージックビデオを制作し、サブスク配信と、YoutubeにPVを載せ始めて音楽活動をスタートさせた。

 

ソロとして恋愛の歌を中心に活動する中、49歳で女子校育ちというユニットを立ち上げ、メッセージ性の強い曲やスペイン語の歌を出すようになる。

 

49歳、才能溢れる世界で一番格好いい男性と出会う。

 

50歳の時、 彼に消えられ、人生で一番辛い日々を送り、絶望と孤独の中、生きた心地がせずに、あー、こうやって人は自殺するのだなと思い、自殺防止の曲を創りながら、何故か、突然、強い衝動にかられ、書道を始め、様々な和紙を使い、歌詞を全部書道で書くPVを制作する中、

 

毎晩、彼に戻ってきて欲しい願いを数時間神への祈りを捧げながら、祈りの言葉を書道で書く日々を過ごした。

 

毎日毎日狂ったように書道に打ち込むうちに、筆によって変わるニュアンスや書き味、墨によって変わる色の出方、紙によって出るにじみなどに魅せられ、書道に没頭するようになり、沢山の作品を創り出すようになる。

 

初めの方は、細かい文字を色んな色や配置で和紙中に書くスタイルだったが、、手があまりにも弱く、掌の筋と手首の炎症により、筆を持つことが出来なくなり、1、2週間手を休めても、また直ぐに炎症が起きて、落ち込んでいたところ、

 

親父に母方に対して、「お前ら親子は頭が良くて才能あっても体弱いから誰も芽が出ない」と言われ、かっちーんときて、なら工夫してやる、と、作品創りを再開する為、私生活では左手を使うようになったが、アート熱はどんどん加速していき、顔料を自分で混ぜ、書道と色を使った総合アート作品も創るようになり、さらに作品創りにのめり込むようになった。

 

子供の頃から父はいつも筆で文字を書いていて、父は誰にも習っていないのに、個性的で美味しそうな字を書いていて、私は父の字がとても好きでした。

 

それを見て育っていた為か、父の味のある字は格好いいなーと思い、39歳からは普段は筆ペンを使うようになりました。

 

だから、突然、無性に書道がしたくなった時、硯や筆が家にあったので、書道をする運命だったようにも思います。

 

中学の頃は、アクリル絵の具で油絵を模写したり、細かい絵を色使いだけで完成させたり、アメリカに行ってからはグラフィティを少しやってみたりしましたが、絵が描けないので、直ぐに断念していました。

 

そして、字が下手だったので、学生時代は、正解が決まっている書道の時間が嫌いでした。

 

しかし50歳で書道に目覚めてからは、好きで好きでたまらなくなり、

 

今では絶対に無理だと思っていたアート作品を創る事が出来るようになりました。

 

そして、もう直ぐ51歳という時に、世界で一番格好いい男性に4度目消えられたショックで、AIでの映像創りにもはまるようになり、初めて自身の動きとAIでPVを創り、ショートムービーの制作も始め、高校3年生の時に映画監督になりたかった頃の夢へも繋がりました。

 

喉が弱いので、ライブ活動への道はまだ見えてませんが、曲を作って配信しながら、ワンマンライブ出来る日に向けて、そして、

世界で一番格好いい彼が戻って来てくれる事を信じて、頑張り続けます。

 

音楽、アート、映像、10代に断念してしまった事をやっとやれるようになり、

 

50年生きて、やっと内なる自分と繋がれて、ずっと封印していた本当の自分が解き放たれたような気がします。

 

やれば自分でも知らなかった才能が目を覚ます。

 

何が眠ってるか、自分さえ驚かす。

 

だから、脳を拡張して、覚醒する。

 

先祖から脈々と受け継がれた遺伝子の記憶が蘇るかもしれない。

 

遺伝子の中に眠ってる才能を呼び覚ませ‼️

 


歌大好き世界一選手権2022、ファイナリスト20名。人生、初一人ステージ💖

素晴らしい経験をありがとうございました!!



日経ラップライブボイス、一次審査通過者、30名に選出。

 

人生で初めて、カラーで新聞に載ったので、めっちゃ嬉しかったです💖

これからも、もっと頑張ろうと力をもらいました。本当にありがとうございました。



De Jyoshikou / Yukako

 

A singer-songwriter who started producing music at the age of 42, and began creating artworks and videos using AI at the age of 50, and is also a current English school instructor.

You can pursue your dreams at any age, so never give up!!

 

I have started selling NFT art on HEXA. The comprehensive artwork is currently in preparation. 

 

 I do『De jyoshikou』and as solo artist 「Yukako Takekawa」both. 


Un cantautor que comenzó a producir música a la edad de 42 años y comenzó a crear obras de arte y videos usando IA a la edad de 50 años, y también es actualmente instructor de escuela intensiva de inglés

Puedes perseguir tus sueños a cualquier edad, ¡¡así que nunca te rindas!!

 

Empecé a vender arte NFT en HEXA. La obra de arte completa está actualmente en preparación. 

 

Yo hago 『De jyoshikou』y como solista 「Yukako Takekawa」ambos.